2013年1月13日日曜日

ある「富勢おやじ」の男一人・・下町歩き??



1月4日が仕事始めだった我が職場・・
仕事帰りにラーメン始めと称して、今年一発目は、我孫子「てらっちょ」いやいや混んでおりました。
並んでいたのに、僕の後ろにいた一人で来ていた若い女子が僕を飛ばして先に店内に入って席に座りやがった。何か一言いってほしいね。腹が立つより呆れたよ・・!!
あの・・・ストーブは飾りですか???
特製ラーメン 750円
麺・・カタ  背脂・・ふつう
で、注文
久しぶりに来たんだが、結構有名になったようで、テレビ取材もあったらしい・・写真が貼ってあった。でも、初めて来たときよりも味がイマイチになっている気がする。




翌日・・
嫁と子供たちは、出かけてしまい一人ぼっちになってしまった私。
昨日のラーメンの強烈な背脂のせいか、腹の調子がよくない。
お昼ぐらいにやっと落ち着きをみせ、おそーいブレックファーストを摂り(もうお昼の時間だった)
さてさて・・これからどうしょうかネットでサーフィンした・・。
そうだ・・・いつも行こう行こうと思って一度も行ったことのない寅さんのお膝元に行こうと決意。
Suikaをポケットに忍ばせて駅へむかった。
金町に降り立ち、京成金町線に乗ろうと思ったが歩いた・・
正解だった。




ひー!!混んでるね。
だよね^^



神様に今年の家族の幸せを祈る
おみくじは・・「凶」
2013 底にいるなら!!這い上がるしかない!!
参道は思ったより短いが、凝縮している気がする。
この店でゴマ団子を買う 150円
高くねぇ・・
船橋屋の「白玉しるこ」
350円
これも高い!!と思ったけど、天下?の船橋屋とかわいい売り子さんの笑顔にやられた
でも、甘党の私をうならせた。
そして、この寒さの中で食べるだけに目茶苦茶温まった。
寅さんの銅像に会う。
この銅像の周りには、人がたかっていた。
寅さんの背中側にある居酒屋が、有名とか??



まだ、時間もあったので、来た道をもどり江戸川土手の「矢切の渡し」まで歩いてみた。
いままで、曇っていた空は・・綺麗な夕日を出してくれた。
東京の空なんだが・・なんとなく懐かしい空。



スカイツリーと富士山のランデブー
もう少し粘れば、ライトアップすると思ったが・・・・さむいよ。


土手を散歩する人たち・・

さぁ・・日が暮れてきた金町へと「柴又街道」を歩く。

帰りぐらいは一駅だけど乗ってもよかったかなぁ~
でも、この景色の空気に触れたかった。



金町に近づいてきた。

水戸街道の陸橋をすぎると・・金町に着く。

この後、常磐線にすぐ乗るのもおしいので、商店街「金町栄通り」を散策。




金町栄通り


あやしい・・居酒屋がいくつかあり、厄払いに一杯ひかっけて行きたかったが・・
窓越しにみえる店内の雰囲気に自分ひとりでは入れる勇気もなく・・
あきらめた。(ああ!!弱いなぁ俺)




常磐線に乗り込み・・
時計を見ると、北へ向かう夜行が出る時間が近づいてきていた。

台車には、着けてきた雪が解けることなく、また再び北へ・・



食堂車では、お客様を迎える準備に余念がない・・。
出発時は、ホームに向かって挨拶していく。




さすが、寒冷地仕様


今年の上野13番線詣でになった・・(笑)


旅人・・かもしかおやじ













2013年1月2日水曜日

ある富勢おやじの男一人旅・・東海道中酒浸2012冬



一人移動の気ままさとデスペラード
 
今年の初めから一人移動が続いている。家族旅行での移動は毎年のように車がメインで行うようになっていたが、車以外での長距離移動はしばらくぶりのことだ。
富士山を見ながら太宰治「人間失格」。
雄大な姿と対蹠的な小さな人間の姿を文庫に見る
一月新幹線で大阪、五月バスで岩手、八月飛行機で沖縄、十二月また新幹線で大阪。交通手段がそれぞれであり、ビール、日本酒と酒もつきものであった。
一月の大阪行きは、突然の決定だったので、午前中のPTA役員会などの用事を済ましてから、あわただしく行かざるを得なく、新幹線は時間の選択肢もないまま大阪入り。「のぞみ」だったかな、今回は「こだま」で各駅停車。四時間近くかけて大阪へ。でも四時間で連れて行ってくれる日本の新幹線システムはたいしたものだと、ビール片手に晴れ渡った富士山を見る。
以前何かの本か手記にあったようだが、富士山は遠くで見たほうがはるかにその大きな存在感がある。これが中距離だと、なんとなく居心地が悪いような大きさに見える。さらにさらに近づくと、やはりそのそびえ立つような圧倒的なものを感じる。
東京を出るときは曇りがちだった空も、新富士駅手前からは晴れ渡り、新幹線からも雪化粧された雄大な姿をみることができた。
話しが飛ぶが、飛ぶだけに飛行機のハナシ。この夏には家族で初めて沖縄へ行った。飛行機からも富士山の姿はうつくしく、まぁ夏だったから雪はなくまっくろけの山肌であるが裾野の広さに圧倒された。
沖縄から仕事のため家族を残し、一人先に帰ることになった。予定時間をはるかにおくれた最終便の窓からは、まっくろけの夜空に機内の灯りが反射し、隣の席のスタイル抜群だけど、愛想の悪いねぇちゃんの窓に写る横顔が見えていた。


   なじみの店となじめないエスカレーター

やっぱり大阪は右側に並ぶ、帰りに寄った京都は左側に並んでいた。この近距離でエスカレーターの切り替えはなじめない。
大阪駅は巨大であり、さらに乗り換えの改札がJRと地下鉄などでは、やたらに歩く。必然的にエスカレーター上ったり、降りたり、右に並んだり、左を歩いたりでなんだか疲れる。
ほぼ一年ぶりに、大阪に住む友人と串焼き屋へ。なじみでもないのに、一年前の会話など覚えていてくれるというのは、やはりうれしいもの。
二度目なのにすっかりなじみの気分になれる。
いい店ゆえだろう。

小ぶりでちょうどいい串焼きに懐かしさを覚え、最近すっかり野菜好きになっているおっさんにとっては、豆もやし、山芋ソテーそして大阪名物の生キャベツを特製味噌につけてのアテが実にいい。
この店の焼きラーメンを〆にした。不思議な味わいの料理である。たしかに焼いてあるような風味と食感があり、少な目のスープに野菜がたっぷり。飲み続けのただれた胃袋にはありがいビタミンだ。
この店の二人の男性店員、とても地域の人となじんでいて、来店する客みんなと友だちのように肩肘張らない雰囲気がある。やはり店柄は人柄なんだと、友人は言う。
三宮リベンジ!そして連敗①

JRの「三都ものがたり」という企画で、京都、大阪、神戸を訪れて歩くというコマーシャルがあり、なんとも旅情ロマン惹かれるものであった。
三宮からすぐの南京町の大門。横浜に比べるとカワイイ。
いまから二十年近く前のこと、三宮へ到着し神戸ステーキを食うぞと意気込んでいた。初日の夜だから、ほどほどにと思い、駅前地下にある地味な看板の店に入った。大荷物を持ったままだったから、なるべく近くで済ませたいという思いがあった。階段を下りていくと大きな扉が目の前にあり、静かに開いたかと思うと黒スーツの店員が「お荷物をお預かりいたします。」とフロント奥へ持っていってしまった。
そうなのだ、この店にはホテルのフロントのように大きなエントランスがあるのだ。
案内されるままに、照度をおとしてあるテーブルへ座らせられた。「メニューでございます。」あけてびっくり玉手箱じゃあないけど、一番安いステーキ肉のみで八千円(うろ覚えだけど)。サラダ、スープすべて別料金。コースセットなんて見たくもない金額であった。
「すみませえん、飲み物だけでもいいですかあ」となさけない声で言うと、「このお時間はお食事だけとなります。」とつれないご返事。連れにかっこいいとこ見せたい気持ちではあったが、初日からこんなに飛ばしては後が続かない(金額的にね)。
「じゃあ帰ります。」めちゃめちゃかっこ悪かったが、また大荷物を出してもらい、そそくさと店を後にした。二度と来ることもないだろう、と捨てぜりふを心の中でいいながら…。
その日は、六甲山の山頂付近にある、会社の保養所へ泊まる予定だったので、連絡してみると「もうきょうの夕食時間は終わりました。」とさらにつれない返事。保養所の自動販売機の酒とつまみでロマンも何もない初日は終わったのであった。

三宮リベンジ!そして連敗②

昔のくやしさを思い出し、長くなりすぎてしまった。すまんです。


中津という駅の直結ホテルに泊り、ゆっくりチェックアウトする。どこで朝飯にしようかなんて思いながら、立ち食いそばに後ろ髪をひかれ、大阪駅まで歩く。人の流れについて駅周辺まで来ていたのに、なんだか流れのままにあるいていると、まったく違う方向に来ていることに雰囲気でわかる。そろそろ修正しないといけないなと思いながら歩いていると、なんだかずいぶん遠くまできてしまったようだ。
ヒルトンホテルの前まで来てしまい、駅への送迎バスがあるようなので、客のふりして乗り込み駅への到着成功。10分近くバスだったからかなりの時間を無駄にした。
なんとなく、そば屋をさがしていたのだが見つからない。そばをあきらめ、三宮の元町南京町へエイヤっと行ってしまう。
 『神戸のぶたまんじゅ屋』と呼び親しまれてきた老詳記。(ホームページより)
ぶたまんで人気の「老祥記」へ。ぶたまん三個二百七十円。小さめだが、できたての湯気がたまらない。この店へは人になんとなくついていって、今度は正解だった。半端な時簡になってしまったので、神戸牛コロッケ揚げたてをいただき、朝食とした。
さて、ここまで来たのだから、異人館街へ行きたいと思い、歩き出す。道路標識の方向へ行くが、なんだかやっぱり、ちがう雰囲気。兵庫県庁の近代的な建物ばかりで、仕方なく「相楽園」という日本庭園を見学。阪神淡路大震災の爪あとが、旧ハッサム邸の煙突があえて落ちたままになっている。
散々歩き、へとへとになりながら、北野の異人館街へ。ここはずいぶん復興していたが、大きな震災からの復興というのはたいへんなんだと感じた。
東北の復興を祈る。

三都ものがたり完結。清水さんは紅葉に染まる。


きよみずさんの燃えるようなもみじであった。
清水(しみず)さんではない。きよみずさんと京都の人たちは言う。尼崎ですっかり長居をしてしまい、四時近くに京都へ。駅前観光案内のおじさんに尋ねる。
「知恩院へいきたいんですけど」「知恩院ねえ、四時まででおわりですねん、いまからですとキヨミズさんですなぁ」との答え。「キヨミズさん?」「キヨミズさんなら六時までやからバスで十五分、そこから歩いて十五分でいけますぅ」
路線バスは鴨川を渡り、三十三間堂の前を横切り、京都の渋滞道を進み、五条坂で下車。人の流れについて清水寺へ。修学旅行の団体の多さにびっくり。いったい何校がいま参拝していて、朝からどれだけの生徒がここを訪れたのだろう。
思い出せば、中学生の時に修学旅行で来て、二十数年前に来て、きょうで三回目。最初は団体、次は二人、いまは一人。なんだか三都ものがたりのストーリーになりそうだが、清水寺の喧騒にかき消された。
清水坂という観光旅行客相手のみやげ物通りに、着物に着替えて清水参拝という看板があり、そんなのもいいなぁ、と思いつつ歩いていると、あちこちに女性のグループの華やかな着物姿についつい魅とれてしまう。
紅葉に色づく清水の舞台から見渡す晩秋の古都。そうだ、京都いくべし。
(旅人・・・にらまる氏)